前回は小学唱歌「春の小川」と「村の鍛冶屋」が口語体に替えられて元の輝きを失ったことを述べた。今回は尋常小学唱歌全般について触れたい。
尋常小学唱歌という見事な教材を捨て去った戦後の日本は、祖国を捨てるに等しい愚を犯してしまったのだろうか?
「春の小川」や「村の鍛冶屋」のほかに、尋常小学唱歌には例えば次のようなものがあった。
一学年には、日の丸の旗、親の恩(注1)、牛若丸、花咲爺
二学年には、二宮金次郎、田植、富士山、母の心、梅に鶯(注2)、那須与一
三学年には、茶摘み、鵯越、日本の国(注3)、豊臣秀吉、川中島
四学年には、いなかの四季、靖國神社、広瀬中佐(注4)、橘中佐
五学年には、八岐の大蛇、管公、児島高徳(注5)、忍耐、加藤清正、水師営の会見(注6)
六学年には、明治天皇御製(注7)、日本海海戦、日本三景、天照大神、出征兵士、斎藤実盛
などがそれぞれ配されていた。
これらの唱歌は、日本語の美しさ、歌心や情緒、歴史、地理、倫理、等々が自然に身につくように工夫されていた。以下に各学年ごとの例を示す。
(注1)一年坊主は、「ひよこ育てる雌鳥見たか、餌をば探して子に拾わせる」と口ずさみながら親の恩を知り
(注2) 二年生は、庭先の垣根の梅で鳴く鶯のかわいい声にことよせて情緒を育み
(注3) 三年になったら、「日本の國は花の國、梅・桃・櫻・藤・菖蒲」と口ずさんで日本の国に誇りを持たせ
(注4) 四年生は、荒波洗うデッキの上で「杉野は何処、杉野は居ずや」と叫ぶ軍神広瀬の人間性に感銘をうけつつ旅順港激戦の様を識り
(注5) 五年坊主がいきなり「天勾践を空しゅうする莫れ 時范蠡無きにしも非ず」なんて文句を目にしたらチンプンカンプンだったに違いない。しかし、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の喩えもある。何十回何百回と反復暗誦しているうちに意は自ずから通じるもの。そして越王勾践や後醍醐天皇に思いを馳せながら歴史を学ぶのである。
(注6) 敵の将軍から「我に愛する良馬あり、今日の記念に献ずべし」との申し出を受けて、「厚意謝するに余りあり。軍の掟にしたがひて、他日我が手に受領せば、長くいたはり養はん」と応えたのが乃木大将。見事な倫理教育になっている。どこかの党首も、この歌を口ずさんでいたならば、不正・法外な献金を手にしたまま居直るような政治家にはならなかったに違いない。
また、寒川猫持が後に詠んだ「尻舐めた舌でわが口舐める猫厚意謝するに余りあれども」の面白さも、これを知っていてこそ理解出来るというもの。歌心も自然に身につくように出来ている。
(注7) 六年生は「さし昇る朝日の如く さわやかにもたまほしきは 心なりけり」という御製に接して、心を新たにして巣立っていくのである。
これらの例をはじめとして、各学年27曲、全162曲のことごとくに工夫を凝らし、ひとかどの人間として巣立っていくように設計されていたのが尋常小学唱歌だった。何とも見事な教材だった。
戦後教育はこれらの殆どを捨ててしまった。
山本夏彦氏はこう書いている。
「私たちは震災と戦災で建築の全てを失った。残るは言葉のみである。言葉で過去を構築するよりほかないのである。そしていま言葉は急速に失われようとしている。
私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。それ以外の何ものでもない。」
そして福田恆存氏は、前回も書いたが
「文化とは生き方である。命に替へても守りたいもの、或は守るに値するものと言へば、それは各々の民族のうちにある固有の生き方であり、そこから生じた文化的価値でありましょう」
とおっしゃる。
靖國の英霊は命に替えて祖国を守った。
祖国とは国語であるならば、英霊たちは命に替えて国語を守ったのである。反面、戦後の日本人は命をかけることもなく自ら進んで祖国を国語を捨てたのである。
失ったものは余りにも大きい。
どの顔をして靖國の英霊に詫びるというのか?
【参考文献】
山本夏彦『完本文語文』(文春文庫)
『福田恆存評論集 第7巻』(麗澤大学出版会)


by 風来坊
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