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大悪党と小悪党と ニュース記事に関連したブログ

2010/02/05 02:14

 

 

「小悪党は捕らえられ、法律によって犯罪者として処断される。しかし大悪党というのは、自己の悪行が最高の正義と認められるように、法律そのものを抑えているわけで、そのことがまさに不正の極なのである。
しかもその超越的な不正は、決して罰せられることがなく、かえって阿諛追従によって賛美される。だから彼は不正の極にあって、あたかも聖者の如く尊崇されるのである」

これは田中美知太郎氏が昭和44年に発表した「人生論風に」の中の一節である。慧眼である。田中氏は、小沢一郎が牛耳る今の日本の姿を四十年以上も前に見抜いていたのだろうか?

 

田中説に従って分類すれば、「お咎めなし」の小沢は大悪党、そのおこぼれに与ったのが鳩山、起訴された石川らは小悪党ということになるが、こうなるだろうことは端から見えていた。民主党政権下で無秩序化しつつある日本には、「司法談合」が成立する土壌が確実に育っているからだ。

 

巷では「小沢不起訴」という判断を下した検察への失望や恨み節が頻りである。しかし検察に失望し、検察を恨むのは筋違いである。何故ならば、「日本は三権分立が確立した国」というのは真っ赤な嘘だからだ。それが証拠には最高検や最高裁長官など司法官僚の人事権を握っているのは内閣、その内閣を牛耳るのが小沢である。つまり小沢が三権を独占している。故に大悪党の地位を得たのである。

 

司法官僚とて人の子だ。長年かけて築き上げて来た地位もある。扶養すべき家族もいる。そうした俗事を抜きにして司法官僚にのみ一方的に「職務に忠実であれ」と求めるのは酷である。

その意味で恨むべき対象は

     小沢という大悪党に権力を与えてしまった選挙民であり

     国会議員に与えた不逮捕特権なる特権であり

     司法官僚の人事権を内閣が握っている現行制度

でなければならない。とりわけ、真の日本人ならば①について大いに恥じ入るべきだろう。

 

小沢の今回の容疑は「虚偽記載」だった。その立件には最低でも小沢の逮捕が不可欠だった。しかし逮捕許諾請求したところで大悪党が牛耳る国会がOKすることはない。つまり逮捕もしないで公判を維持するのは端から無理な注文だったのだ。

さなきだに北海道空知太神社の件で違憲判決を下すような最高裁である。明治憲法から数えても憲法には120年ほどの歴史しかない。高が120歳の洟垂れ小僧の憲法を根拠に二千数百年にも及ぶ神社信仰という日本人の生活習慣を裁くことがそもそもおこがましいのだ。

決して検察の肩を持つわけではないが、検察はそんな判決を下す裁判官を相手にしなければならないのである。「現状では公判を維持する自信がない」との判断も宜なるかなというものだ。

 

いずれにしても我々日本人は長年にわたり上記②・③の制度を異議なく認めて来たし、近くは大悪党に政権を与えてしまった。他ならぬ日本人自身が大悪党に権力を与えたのである。故にも大悪党を退治出来るのは日本国民を措いてほかにはない。つまり、小沢民主党なる大悪党を退治するのは今を生きる日本人に課せられた責務なのである。

 

そのような観点から見た場合、小沢や鳩山に「説明責任」を求めようとする気持が全く理解出来ない。

この際法律論など不要だ。「お天道様に恥じること無きや?」という普通の日本人が身に付けている常識で判断するだけで十分だ。小沢らはその常識を持ち合わせてはいない。だから小沢らは普通の日本人が求める「説明責任」を果たすことは出来ない。もしも出来るとすれば「私が悪うございました」と全てを白状することだけだが、それこそ“無いものねだり”というもの。つまり、小沢らに「説明責任」を求めるのは骨折り損のくたびれ儲けでしかないのである。

 

それ以上に不可解なのが石川知裕の議員辞職勧告決議案を提出した自民党のことである。情緒論やアリバイ作りとしてなら解らないでもないが、大悪党が牛耳る国会で可決される筈がない。また、その程度のおままごとに戯れている自民党が国民の支持を得られる筈がない。

 

日本の国柄を守るには何をなすべきか?

自民党が保守政党を自任するのであれば何を措いてもその道筋を明示すべきだ。否、その道筋を示す前に、国柄を破壊せんとする小沢民主党を倒すことこそが喫緊の課題でなければならない。具体的には自民党が率先して解散総選挙を求める一大国民運動を起こすことである。それ以外に大悪党を退治する術はない。

 

しかし玉石混淆の自民党にそれを求めても、それこそ“無いものねだり“というものだ。故にも、志ある自民党議員は立ち上がらねばならない。

ということは、大悪党を退治する前に自民党の中の「玉」と「石」とを仕分けることが最優先の課題でなければならない。具体的には、靖國参拝を拒否し、外国人参政権反対の集会に顔も出さないような「石」を葬り去ることである。

それこそが自民党再生の鍵であるに違いない。さすれば日本を愛する日本人は必ずついて来る。

 

 

                           ∽∽∽∽∽∽∽

【蛇足】

今回検察は「某市民団体」からの告訴に基づいて小沢を取り調べた。「虚偽記載」なる容疑について「お咎めなし」を得るには、「秘書を信頼して任せていた。自分は知らぬ存ぜぬ」を押し通すだけで充分だった。「告発そのものが小沢一派のヤラセだったのでは?」との説が出回るのは、その辺りに根拠があるのであろう。

今にして思えば、「虚偽記載は単なる形式犯」とか、「刑事上の責任なら重い」などととぼけていた小沢の方が一枚も二枚も上手だったということか?

 

「某市民団体」による告発がヤラセだったかどうかは知る由もないが、彼らが検察審査会に不服を申し立てれば本物、申し立てしなければヤラセと見て間違いあるまい。

 

ただし、どちらにしても「虚偽記載」なる微罪で攻めるのでは勝負は見えている。

願わくば、違法献金・斡旋利得罪・贈収賄罪などの観点から検察が徹底捜査を続行することを!!

 

 

 

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「知らなかった」ことの罪 ニュース記事に関連したブログ

2009/12/24 22:43

 

 

鳩山さん、あなたの一番目にして最大の問題点は

「私は本当にまったく承知しておりませんでした」と、恥ずかしげもなくおっしゃるそのセンスなのですがねえ!!

 

「知らなかった」と言うあなたの言葉を信じるとしよう。

しかし、その言葉を信じればこそ、家族という最も身近なところで起きていたことすら認識できなかったあなたの能力には「欠陥あり」と断じざるを得ない。

 

この件について、「知っていて隠していた」のと「知らないでいた」のとではどちらが罪深いかと言えば

後者、すなわち「知らないでいた」ことの方が断然罪深い。

何故ならば、その程度の認識能力もなかったことになるからである。

ハッキリ言って、そんなお人に総理大臣の椅子に座ってもらうのは迷惑なのだ!!

 

二番目の問題は

“不浄の金”を元手に、あなたは選挙を勝ち抜き国会議員の地位を得たということ。

不浄の金であったことを知っていようが知っていまいが、

結果として不浄の金で長期間にわたって選挙民を騙してきた事実は消えはしない。そのことが何よりの罪なのである。

 

以上の二点だけであなたは総理大臣はもちろん国会議員として失格である。

だから下手な言い訳などせずサッサと政界から姿を消しなさい!!

あなたが政界から姿を消すことが何よりも日本の国益にかなうことなのだ。

 

 

ところで、自民党もマスコミも実に情けない。

彼らは二言目には「これだけのことを知らなかったとは信じがたい」と口にする。そうすることが、“庶民の正義”を振りかざすことになると思ってのことだろうが、この際庶民感覚など無用である。

 

そんな攻め口では逃げ口上を与えるだけである。

現に鳩山は、「親から大金を用立ててもらい、知らぬはずはないと思われるかもしれませんが…」との一点張りである。

なぜ「知らなかったことが何よりの罪だ」と言って攻めないのか?

庶民感覚で攻めるのではなく、「知らなかった」ことの無能さや罪、すなわち総理大臣としての適格性を問うべきである。

 

また、「秘書の罪は議員の罪だ」とか

「金庫番だった人の不祥事は議員本人も共同正犯だ。即議員辞職すべきだ」

という鳩山の前言を持ち出して攻めるのも如何なものか?

 

思うに、本当にそう思っている人間がそんなことを軽々しく口にするはずがない。鳩山は微塵も思ってはいなかったからこそ軽々しく口にしたのである。

「思ってもいない」ことをタテに責めたところで馬耳東風というものだ。

 

残念ながら自民党やマスコミの攻め口では“この程度の鳩山”を引きずり降ろすことも出来ないだろう。

“降ろせない”のか、それとも“降ろさない”のか?

これでは、鳩山疑惑に勝るとも劣らない“疑惑”と言われても仕方あるまい。

 

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矛先は「小沢」に向けるのでなければ… ニュース記事に関連したブログ

2009/12/17 15:38

 

 

産経が

     鳩山首相の心が折れるXデーは来るのか?

     それは年内か、23月か?

として、鳩山辞任のXデーを期待するかのような記事を書いているが、

もしかして産経は、鳩山が辞任すれば世の中が変わるとでも思っているのかしらん?

 

だとしたら、産経の見識も地に落ちたものだ。

今の日本を変えるには「打倒小沢一郎!」を実現するしかない。攻める矛先を違えてはならぬ。

 

そもそも鳩山は能力を買われて首相の座を射止めたわけではない。「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」という小沢のお眼鏡にかなったが故に首相職を“任命された”に過ぎない。

 

小沢は2年前に自民党との大連立を企てた際に民主党には政権担当能力がない」と宣った。

小沢のその考えは今でもちっとも変わってはいない。それが証拠には、昨日(16日)は官邸で鳩山らの閣僚に向かって「政府高官は研鑽を積んで自ら決断し、実行すべし」と一喝したという。

 

 

独裁者・小沢の頭の中には「日本解体」のことしかない。

小沢がその「日本解体プログラム」を進めていく上で、国民の反発が募ることは必至である。国民の反発が募ってはいかな小沢とて事を進めるわけにはいかない。

 

そこで小沢は目先を変える戦術をとることになる。すなわち首相の首をすげ替えるのである。

小沢にとって幸いなことには、民主党には小沢を脅かすような迫力ある人物は一人もいない。鳩山に勝るとも劣らない「軽くてパー」な輩はゴマンといる。そのくせ人並み以上の権力亡者ばかりなのだから、これ程御しやすい人間はいない。

ということで、世論の動向次第で小沢は思うままに総理の首をすげ替えることが出来るのである。

 

故人献金で、普天間で、予算編成で、天皇の政治利用で…鳩山内閣の評判は落ちる一方である。

小沢はその辺りの動向を見ながら“鳩山解任“のタイミングを計るだろう。

しかし、鳩山が誰に変わろうとも小沢の「日本解体プログラム」が影響を受けることはあり得ない。それが民主主義政治の厄介なところであり始末におえないところである。

 

さりとて我々は座して4年先の総選挙を待つわけにはいかない。

何はともあれ「打倒・小沢一郎!」を実現しないことにはご先祖様にも孫子にも申し訳がたたない。

同時に忘れてならないのは、「打倒・小沢一郎!」を実現する前に「打倒・小沢シンパ」を実現しなければならないということである。民主主義によらずしてそれが実現出来るのであれば一番手っ取り早いのだが…。

 

かく言う拙ブログも、事あるごとに鳩山批判記事を書いてきたが、所詮は“骨折り損のくたびれ儲け“でしかなかった。

故にも、産経が「鳩山辞任のXデーは?」などと書いて悦に入っているのが残念でならない。「打倒・小沢一郎!」のキャンペーンでも張ってみたらどうか?

その意味で、安倍元首相が「君、国売りたまうことなかれ」と言って小沢に非難の矛先を向けているのは的を射たものと言えよう。

 

畏れ多くも小沢は習近平問題で天皇陛下を見下すような発言をした。今や小沢一郎の暴走は留まるところを知らなくなってしまった。

これを止められるのは日本国民しかいない。岩手4区の選挙民だけの脳内革命を待っていても始まらない。ここは一番、日本人一人ひとりが立ち上がるしかない。

願わくば、「打倒・小沢一郎」が実現する日の一日も早からんことを!!

 

 

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冗談もほどほどに! ニュース記事に関連したブログ

2009/12/15 23:18

 

 

岡田クンが日本での核軍縮会議開催に意欲を示したそうな。

 

幼いのか、生来の馬鹿なのか、見栄っ張りなのか?

一発の核も持たない日本が核軍縮をリード出来ると本気で思っているのか?冗談もほどほどにするがいい!この程度の人間が日本国の外務大臣であることが恥ずかしくてならぬ。

 

かの福田恆存氏は今から半世紀近く前の昭和39年に次のように書いておられる。東大法学部を出ていても残念ながら岡田のレベルは福田氏のレベルには遠く及ばないようだ。

「現実に軍廃などといふものが行はれる筈がない。吾々が考へ得る唯一の現実的な方法は軍事力を戦争防止力として用ゐながら、軍管態勢を整へ、出来る限り軍縮への努力をする事であり、それは飽くまで政治権力者間の外交によって成し遂げられるものであります。

何より冷厳な事実は、他国に軍縮案を提示し強制し得る力は相手国を上廻る自国の軍事力であるといふアイロニーであります。

 

仮にこの世から凡ゆる核兵器が姿を消したとしても、それを作り出す能力とその方法の記憶を抹殺する訳には行かないのです。米ソの国力をもってすれば、無から出発して今日の保有量に達するのに四五年もあれば充分だといふ事を忘れてはなりません。

 

同時に忘れてならならぬ事は、(核兵器製造に)踏み切る決断の早さといふ点では、全体主義国の方が絶対に有利であり、製造能力といふ点では国力の豊かな方が絶対に有利であり、いづれにせよ、報復攻撃は全く不可能になるでせうし、可能であったにしても甚だしく効力を失ふだらうといふ事です。

 

誤解を恐れずに言へば、何かを守る為には戦争をも辞さぬといふ、その何かが無ければ、平和そのものもまた守れまいということです」(「平和の理念」より)

 

 

そう言えばつい最近(1210日)オスロでのノーベル賞受賞演説でオバマ大統領はこう言っていた。

So yes, the instruments of war do have a role to play in preserving the peace.  ……war is sometimes necessary, and war at some level is an expression of human folly.

そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのだ。…戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある」

 

 

あのオバマでさえ福田氏と同じ事を口にしたのである。それもノーベル平和賞受賞の席での発言だった。責任ある政治家として当然の発言である。

その辺りが鳩山、岡田、北沢…と居並ぶ我が国の無責任閣僚どもとは根本的に違う点である。

 

かくも軽い連中を閣僚に任命したのがほかならぬ小沢一郎である。

「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」…さすが小沢一郎と言うべきか?

小沢が独裁者として、且つ悪の根源として君臨するためには、担ぐ御輿は軽くなければならないのである。

 

但し、小沢一郎が満足すればするほど迷惑を被るのがわれわれ日本国民である。その意味で小沢一郎こそが日本国民の敵なのである。今や小沢は畏れ多くも天皇陛下を政治利用する独裁者に成り上がってしまった。

 

早晩鳩山内閣は潰れるだろうが、この内閣が潰れたところで変わるところは何もない。担ぐ御輿を取り替えるだけだからだ。

故にも、打倒すべき相手、取り替えるべき対象は小沢一郎を措いてほかにはない。「打倒・小沢一郎!」こそが日本国民の責任であるに違いない。

 

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安保破棄と政権崩壊、いずれが先に? ニュース記事に関連したブログ

2009/12/10 11:07

 

 

鳩ポッポにはコペンヘーゲンでオバマと会いたい意向があるらしい。

しかし、「連立政権の課題など日本の国内事情について説明するのであれば、大統領の時間の浪費だ」というのがアメリカ政府の対応である。

儀礼を重んじる外交交渉において、嘗てこれほどあからさまに冷たくあしらわれた日本の首脳はあっただろうか?おそらく日本開闢以来の屈辱ではなかろうか?

 

また、米民主党の長老であるダニエル・イノウエ上院議員は、「支障のある結果を生む、誤解を招くような言明がいまなされている」として日本政府を非難したという。因みに、イノウエ氏は米海兵隊のグアム移転を審議する米上院委員会の委員長の要職にある。その影響力を侮ったら悔いることになるだろう。

 

左サイドがいかなる屁理屈をつけようとも日本の安全と繁栄が日米安保の賜であったことは否定しようがない。にもかかわらず、その恩義を一切忘れて、ひたすらシナ様に媚びへつらっているのがいまの日本政府である。

アメリカはよくも我慢しているものだ」というのが私の実感だが、上のような米政府の態度やイノウエ議員の言動からしてアメリカの忍耐もそうそう長くは続くまい。

 

 

ところで、条約というものは「事情変更の原則」によっていつでも破棄できることになっている。

つまり、「契約締結後に契約の前提となっていた事情が変わり、そのため当事者を当該契約によって拘束することが信義公平上著しく不当と認められる場合に、当初の契約を変更したり解除したりすること」が認められているのである。

嘗て、ソ連の一方的通告で「日ソ中立条約」が破棄されたのも、日本が一方的に「日華平和条約」を破棄したのも、この「事情変更の原則」に依ったのである。

 

因みに、日米安保条約第六条にはこう書いてある。

「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される

 

いま日本政府は既になされた日米間の合意を覆そうとしている。つまり、「行政協定ほかの取極により規律された状態」を放棄しようとしているわけである。

これは紛れもない「事情変更」である。つまり、日米安保条約破棄の適格要件を十分に満している。

 

もっとも、「事情変更の原則」を持ち出すまでもなく第十条には

「この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する」

という規定がある。 

あえて第六条の定めによらずとも、第十条の定めによってアメリカはいつでも「やぁ~めた」と通告できるのである。

 

その辺りを懸念するからであろう、鳩ポッポは嘗て否定していた「沖縄北部振興策」の継続をエサに振り上げた拳を降ろそうとしている。また、北沢防衛大臣をグアム島に派遣させて「グアムは普天間の移設先の選択肢には入らない」などとヤラセ発言をさせている。北沢ごときのド素人がチョンの間行っただけで何が分かるものか。北沢のグアム行きこそ大いなる税金の無駄遣いではないのか?当然に事業仕分けの対象である。仕分けしないのならポケット・マネーで行くがいい!!

 

いずれにしても、この内閣がそんなサル芝居を演じたところで足下は疾うに見透かされている。

冒頭に述べた日本開闢以来の屈辱から鑑みるに、アメリカが「やぁ~めた」と通告するのも時間の問題か?さすれば、「やぁ~めた」から失効までが一年。

さて、日米安保が失効するのとこの政権が崩壊するのと、いずれが先に?

 

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”三党乱立内閣” ニュース記事に関連したブログ

2009/12/08 19:57

 

 

 

 

国民のみなさまへ

 

 

「名は体を表す」ということもあります

 

以後“三党乱立内閣”とお呼び下さいますよう

 

伏してお願い申し上げます

 

~~内閣官房長官~~

 

 

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「唱歌」が語る日本人の心意気 ニュース記事に関連したブログ

2009/12/08 11:03

 

 

私たちが好んで歌う「里の秋」には別に元歌があったということ、「の光」には三・四番があったということをご存知だろうか?

 

「里の秋」の元歌は昭和16年に作られた「星月夜」という歌だった。それはこんな歌だった。

星月夜

一.静かな静かな里の秋  お背戸に木の実の落ちる夜は
  ああ母さんとただ二人  栗の実煮てますいろりばた

二.明るい明るい星の空  鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
  ああ父さんのあの笑顔  栗の実食べては思い出す

三.きれいなきれいな椰子の島  しっかり護って下さいと
  ああ父さんのご武運を  今夜も一人で祈ります

四.大きく大きくなったなら  兵隊さんだようれしいな
  ねえ母さんよ僕だって  必ずお国を護ります

 

一方、三・四番を含めた「の光」は

の光

. 螢の光窓の雪  書讀む月日重ねつゝ
  何時しか年も杉の戸を  開けてぞ今朝は別れ行く
. 止まるも行くも限りとて  互に思ふ千萬の
  心の端を一言に  幸くと許り歌ふなり
. 筑紫の極み陸奧(みちの奧)  海山遠く隔つとも
  其の眞心は隔て無く  壹つに盡くせ國の爲
. 千島の奧も沖繩も 八洲の内の守りなり

至らむ國に勳しく  努めよ我が背恙無く

というものだった。

 

以上は125日に放送されたTOKYO MXTVの「西部邁ゼミナール」で教えられたことである。

「大東亜戦争を偲び『軍歌大会喜怒哀楽』」と題するその番組の中で西田昌司参議院議員が二曲を歌って解説して下さった。

 

残念ながら戦後教育は、両方の曲とも一・二番だけしか歌わせて来なかった。

故に私も恥ずかしながら「星月夜」のことは知らなかった。だから、「里の秋」はてっきり「父を失くした母子家庭の歌」だと思って過ごしてきた。

 

「星月夜」が「里の秋」に仕立て直されたのは昭和2012月のことだった。

当時NHKラジオの「外地引揚同胞激励の午后」という番組で元歌の三・四番をカットして、代わりに新三番を加えて放送したのが始まりだという。カットしたのはほかでもない、「軍国主義を煽る」という理由からだった。代わりに加えられた新三番は

. さよならさよなら椰子の島  お舟にゆられて帰られる

    ああ父さんよ御無事でと  今夜も母さんと祈ります

というものだった。

 

元歌は、南方の戦地へ出征する父の武運を母子が祈る歌。そして「僕だっていつかは…」との心意気を示す歌だったのである。しかしながら新三番を加えた「里の秋」は復員兵を待つ母子の歌に変えられてしてしまった。しかも、間もなく新三番も歌わせないようになり、人口に膾炙されるのは一・二番だけになってしまった。

こうした経緯によって、当初の「父の武運を祈りつつ日本男児の心意気を示す歌」の心は跡形もなく消えてしまったのである。歌心も詩心もあらばこそ!!

 

 

の光」に三・四番があることは私も知っていた。家内の父が口ずさんでいたのを耳にしていたからだ。ただし、知ったと言ってもそれは結婚してからのことで、学校教育で教えられたわけではない。

 

因みに義父は四番の「千島の奧も沖繩も」の所を台湾の果ても樺太も」と歌っていた。

その箇所には次のような変遷があったのだという。

千島の奧も沖縄も 八洲のの守りなり

千島の奧も沖縄も 八洲のの守りなり

千島の奧も台湾も 八洲の内の守りなり)

台湾の果ても樺太も 八洲の内の守りなり

 

伊達や酔狂で詞を変えたわけではない。変えた背景には千島樺太交換条約や日清・日露戦争後の条約締結という歴史上の事実があったのである。

つまり、三・四番には明治期の歴史がちゃんと語られていたのである。日本国民があまねく「の光」の三・四番を歌い継いでいたならば、北方領土問題は疾うに解決していたであろうし、尖閣問題などそもそも起こる筈がなかった。

 

 

「文化とは私たちの生き方であり、生活の様式である」ということからすれば、戦後の日本は自ら好んで日本人としての生き方・歴史・伝統、すなわち先人が遺してくれた「文化」を否定し、捨て去ってしまった。

 

唱歌一つ取ってみても「汽車ポッポ」や「冬の夜」など同様の例は枚挙に暇がない。そのことは本年322日の拙稿閉ざされた歌詞空間(1で述べたところである。唱歌以外の分野についても推して知るべし。いかにGHQの監視下にあったとはいえ、何と無謀なことを!!

北方領土問題も尖閣問題もすべてその報いである。挙げ句の果てが、自ら日本を守る気概もなければ、日本の行く末を示すことも出来ない民主党内閣の出現を許してしまったということであろう。

 

MXTVの放送の中で西部邁氏は

「軍国主義とは無縁の日本人が、あの時の世界史の状況の中で、全員決死の覚悟で日本人の言霊を歴史の中から呼び起こしながら歌った歌がいくつもある。今どきのチャラチャラした歌謡曲とはレベルが違う。時にはこういう歌を歌って、日本人の精神を成りたたせている言葉、その言葉の魂がどんなメロディーや歌詞で運ばれてきたものなのかということを考え、併せて真珠湾攻撃のことを思い出しながら開戦時のことを考えてみようではないか」

と語っておられた。

 

今から68年前のきょう、先帝陛下は国民に向かって

「朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ、朕ガ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ、朕ガ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ、億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」

との檄を飛ばしたうえで米英への宣戦を布告された。

 

そのことの是非についてとかくの論議があるが、歴史上の事実を今日の目をもって解釈することは許されることではない。当時を生きた人たちの心に戻って考えねばならないのである。

当時の人たちの心で振り返ってみるならば、当時の日本人は陛下から「億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ」との檄を飛ばされるまでもなく、壹つに盡くせ國の爲」との気持で団結し、「ねえ母さんよ僕だって 必ずお国を護ります」との心意気を持ち合わせていたということであろう。

 

故にも、きょう8日の産経【正論】に井上寿一教授が「日米間には戦争を必然化する争点はなかった」と書いているのは承服し難い。井上氏は、現在の価値観で、且つ敗戦という結果を見据えた上で、後付けの論を展開しているのである。すなわち、「今日(こんにち)の目で昨日を論ずるなかれ」との古人の教えに背いた小賢しい論を展開しているのである。笑止である。井上氏は、勝者と敗者が日米で逆になっていたとしても同じ論を展開する勇気があるのだろうか?

 

西部氏が言われるように、せめて開戦記念日の今日くらいは何の先入観もなしに真珠湾攻撃に至った当時の日本人の心に思いを馳せたいと思うのである。

 

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「密約」があって今がある ニュース記事に関連したブログ

2009/12/03 11:13

 

 

「密約文書があった!」と言って大ハシャギしている脱税総理岡田外相害相らの気が知れない…と言いたいところだが、彼らが何を考えているのかは見え見えである。

 

彼らが外務省内の家捜しを命じたのは、古証文を引っ張り出して、それを隠していた旧政権を糾弾するのが狙いだったのである。「密約があったことがケシカランのだ。これぞ動かぬ証拠であるぞよ!!」と言いたいだけなのだ。

 

ならば彼らに聞いてみたい。

「もしも密約なかりせば日本はどうなっていた?」

「密約あっての日本ではなかったのか?」

「古証文が出て来たのは良いが、今後どうするお積もりですか?これからは事前協議するのでしょうね?」

と。

 

だが聞くだけ野暮だ。彼らにはそんな思考回路は微塵もなければ、「国防」の観念などさらさらないからである。

彼らは、「沖縄返還交渉の当時、関係者がそうせざるを得なかったのは何故か?」などということは一度たりとも考えたことがないに違いない。

 

古人は「今日(こんにち)の目で昨日を論ずるなかれ」と言っている。

つまり、「歴史上の事実は今日の目をもって解釈するな。当時の人の心理に戻って考えるべし」ということである。

 

当時の佐藤総理以下の関係者の心のうちを忖度するならば、

     「表沙汰にしたら日本の国防はあり得ない。日本解体を目論む社会党など捨て置け捨て置け」ということだったのではなかったか?

     つまり「国防のためとあらば国民を騙すことも辞せず」という気持で、すなわち「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という気持で苦渋の決断をしたのではなかったか?

その程度のことは中学生でも忖度出来るだろうに。

 

 

「密約」については、元外務相アメリカ局長の吉野文六氏が121日の法廷でその存在を証言した。また、元外務次官の村田良平氏も、昨年秋に出版した『村田良平回想録』の中に「密約」があったことを明確に書いておられる。

さらに、米国政府による公文書公開でもとうの昔に明らかになっていることである。

 

故にも、古証文が出て来たところで「何をいまさら」なのである。

にもかかわらず、鳩山らが鬼の首を取ったかの如くにハシャイでいる姿は「浅ましい!」としか言い様がない。

 

今回、「密約」の存在を証言した吉野氏は昭和47年の刑事裁判での証言では存在を否定した。否定していたものを一転肯定するまでに半世紀近くもの歳月を要した吉野氏の気持ちを考えてもみよ!!

 

また、著書で存在を明らかにした村田氏とても、「密約があったことがケシカラン」と言っているわけではない。氏は同じ著書の中に大意次のようなことを書いておられる。

     非核三原則の第三「持ち込ませず」はナンセンス。

     極めて秀れた日本の総理と米国大統領とで、日本も一定の極めて限定的な核戦力(あくまで報復力たる抑止力)を保持することが探求されて然るべき。

     米国のみならず、ロシア・中国の艦船や軍用機が、仮に核兵器を搭載して日本の領海(主として海峡部分)を航行、飛行しようとも彼らは日本政府の立場に一顧だにしない。

     日本政府は何を血迷ったか津軽海峡など五海域での領海を3海里までとしている。

     「持ち込ませず」なんかに拘るよりも、海洋法上の当然の権利である12海里までに領海を拡張すべし。

     そして、外国の潜水艦などは海上に浮上させ、且つ国旗を掲げて通行させることの方が「三原則」とは別次元の日本の義務である。

 

 

鳩山らはハシャいでばかりいる場合ではあるまい。

村田氏の上のような卓見や

ゲーツ国防長官の「核抑止や日米関係に悪影響がないよう注意してほしい」との意見に耳を傾けるべきだろうが

それこそ“無いものねだり“でしかない。

 

ならばこの際、政権から身を退いて、脱税した相続税の手当でも考えておく方がはるかに国家・国民のためになることだと思うがどうか?

 

最後に毎度のことだが、福田恆存氏の次の言葉を鳩山らに謹んで進呈せねばなるまい。

民に何もかも知らせてしまふ政治は、また敵に何もかも知らせてしまふ政治である。ことに外交、国際条約、あるいは軍隊、兵器などについては、どうしても『由らしむべくして知らしむべからず』で押し通さねばならない。
敵を仮想する政治は間違ってゐるといふ人があるかもしれぬ。さうかもしれないが、それは敵を仮想しない政治よりは間違ってはゐない。どうしてもそれが間違ってゐると言ひたいなら、むしろさうしなければ成立たぬ政治といふものが間違ってゐると言ふほかはない。
民を信じて何もかも知らせる政治家は権威の失墜を招き、民から何もかも信じられぬ政治家となるだらう」

 

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とっておきの経済対策が… ニュース記事に関連したブログ

2009/12/03 09:31

 

 

打倒民主党政権、鳩山内閣退陣。

これこそがとっておきの対策であり、唯一にして無二の対策である!!

 

産経がまたまた例によって例のごとくに「市場の不信感を払拭せよ」などと

もっともらしい注文をつけているが

無いものねだりもいい加減にするがいい!

 

あの小沢自身が「政権担当能力はない」と認めていた民主党ではないか。

無能政党・無能内閣に日本の舵取りが出来るはずがなかろうに!

 

この内閣の無能さは株価にいかんなく反映されている。「株価は何でも知っている」のだ。

例えば、過去一年の日経平均の動きを見てみると…

     080924日…12,115.03円(麻生政権発足時)

     081008日…9.203.32円(リーマンショック後、はじめて1万円台を割った日)

     090310日…7054.98円(麻生政権下での最安値)

     090727日…10,088.66円(麻生政権下で1万円台を回復した日)

     090916日…10.270.77円(麻生→鳩山への政権移行日)

     090924日…10,544.22円(鳩山政権下での最高値)

     091030日…10,034.74円(鳩山政権下での1万円台最後の日、以降1万円台回復せず)

     091127日…9,081.52円(鳩山政権下での最安値)

 

リーマンショックが襲った麻生政権スタート直後と最近の経済情勢とを同列に比較するのは妥当ではないだろう。しかし、今年の7月以降現在までを同列に比較することは差し支えあるまい。

 

そのような見方をすると

麻生政権下で727日に1万円台を回復して以降退陣した916日までの間、1万円台を割り込んだ日は一日もなかった。麻生経済対策が功を奏していたのである。

しかし、政権が移行した直後の101日からは早くも1万円台を割り込んだ。その後1万円台を回復した日もあったが、111日の9,978.64円以降は一日たりとも1万円台を回復することなく現在に至っている。

 

つまり、補正予算の執行停止という愚策にも、事業仕分けなる“猫だまし”にも、市場は騙されなかったということである。

それが証拠には、鳩山政権になってから122日までの49取引日のうち

     1万円以上を付けた日は当初の21日だけ

     逆に1万円台を割った日は28日に達し

     しかも事業仕分けが始まって以降は1万円はおろか9800円台さえ割り込んでいる

という状況である。

 

以上を一言で言えば

「市場が民主党政権にレッドカードをつきつけた」ということである。

 

無策というよりも愚策しか思いつかない政権に日本を託すわけには行かぬ。

故にも、倒閣こそが何よりの対策であり、且つ唯一無二の対策なのである。

 

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司法談合 ニュース記事に関連したブログ

2009/11/30 22:01

 

 

“ブレる“ことだけが売りの鳩ポッポが、十数億円にものぼる母親からの“子供手当”については一貫して「知らぬ、存ぜぬ」を押し通している。

それどころか、30日の参院本会議では、献金疑惑での辞任を否定したのみならず、「司法判断の結果に基づいて、全容解明の暁には私が国民に説明する」と明言して、自身の辞任については明確に否定したという。

 

鳩ポッポがこれだけ明確に語ることは太陽が西から昇ってもおかしくないほど珍奇な出来事ではあるが、裏に司法談合があるとすれば合点がいく。

 

いささか旧聞に属することで恐縮だが、103日放送の『脱官僚』の陰で増殖するか『司法権力』と題する番組(TOKYO MXTV西部邁ゼミナール)がその辺りの事情をつぶさに語ってくれている。その内容を以下に要約する。

 

                           ∽∽∽∽∽∽∽

子供手当、農家戸別補償、高速道路無料化、特殊法人廃止、年金改革…等々の社民主義的福祉政策を掲げて政権の座についた民主党が「脱官僚」を言っている。

 

一般に福祉といったら「大きな政府」である。金も使うし役人も増やす。にもかかわらず、その民主党が「脱官僚」を言う。これは両立しない。そこから辻褄の合わないところが生じて政界のみならず社会全体が無秩序状態になる。人間一番堪えられないのが無秩序状態である。

 

普通、無秩序化した社会には独裁者が出て来るものである…エリツィン後のプーチン、古くはヒトラーやムッソリーニなどのような。だが、戦後60何年も民主主義万歳・人権・平等を唱えて骨の髄までとろけきってしまった日本にはそんな情熱や気力を持った人物は現れない。

 

日本の場合、そうなると司法官僚が「整理整頓してあげます。皆さん安心して下さい」と言って出て来る。ただし、彼らは「我々が出るためには権益が必要ですよ。お駄賃がなければイヤですよ」と言って出て来るのである。

 

司法官僚は社会の中で起こった廃棄物の処理係である。犯罪が起こったら逮捕して裁判にかけ刑務所にぶち込む。まともな社会ならルールが安定していて、ルールから外れたのが犯罪者で、犯罪者は舞台裏で司法が粛々と整理する。

 

ところが、ルールそのものが怪しくなり、あるいはルールの解釈が動揺してくると、司法がこのルールはこういう風に解釈しますとか、次はこういうルールにしますとか、積極的に表舞台に出ることになる。この人たちが表に出て来る社会は異常な社会である。

 

民主党政権下で無秩序化しつつある日本は、司法官僚がお駄賃を求めて出て来るには“うってつけ”の異常な社会なのである。小沢は西松問題で、鳩山は脱税でヤバイということが頻りに言われてきた。しかし、最近のマスコミはそのことをほとんど言わない。これは、単にマスコミが言わないのではなく、司法権力と政権との談合が舞台裏で進んでいるからであろう…鳩山は捕まえないとか、小沢問題は見逃すとか。

 

小沢・鳩山問題は表に出てこないまま風化して行くだろう。「風化させてやるからどうしてくれるんだ」というのが談合。最高検や最高裁長官の人事は閣議決定事項である。閣議決定して貰えなかったらこのヒエラルキーは崩壊する。その辺りが取引材料になっているのだ。

 

かつてブントに属し、中央大学でお茶の水辺りの敷石を剥がしてお巡りさんに投げつけていた千葉景子という人物が今の法務大臣。そういう人物であっても本当の人権には鈍いのである。

 

既存の政権に不平不満をぶつけることを飯のタネにしてきた左翼は、自分たちが考えてもいなかった社会になってしまってどうするのだろうか?

一方、反左翼陣営は、教科書だ、靖國だ、大東亜戦争だと、それはそれで論じるべきなのだろうが、そんなこととはまったく別の次元で権力、日本国家のあり方がすっかり姿を変えようとしていることに気付いていない。

そこに日本の危惧を感じないわけにはいかない。

                           ∽∽∽∽∽∽∽

 

以上が放送内容の要約である。

確たる国家像も語れない鳩ポッポが「司法判断の結果に基づいて…」と明確に語ったのは、「司法判断の結果が見えているから」である。そうした背景を踏まえての発言だとすれば誰しも合点がいくであろう。 

つまり、目には定かに見えねども、実質的には指揮権が発動されているということである。

 

TOKYO MXテレビの西部邁ゼミナールは、「戦後タブーをけっとばせ」として毎週土曜日の11時からの30分間、その時のテーマに相応しい人をゲストに招いて放送しているユニークな番組である。因みに103日のゲストは宮崎学氏だった。

偏向報道が罷り通り、俗悪番組が横行している中にあって唯一とも言ってよい良質番組である。アーカイブはこちらで見る事ができる。一見の価値あり。是非ご覧あれ!!

 

 

 

カテゴリ: 政治も    フォルダ: 指定なし

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